「LotusGarden」(蓮の花の咲く庭)
Vol.10【オセロゲームを楽しむように】
ようこそ、Lotus Gardenへ。
こころのアトリエ・そらいろcafeのみやです。
こちらの私のコラムもおかげさまで、10回目を迎えました。
読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。
これからもこつこつと続けていこうと思います。
よろしくお願いいたします。
今回は最近気づいた「ある」と「ない」の不思議な関係のことを、
少しだけ書こうかなと思います。
先日、夜行バスに乗って出かけました。
私はいつもなかなか寝つけず翌日に差し支えることが多くて、
どうしたらいいだろうか、と考えていました。
夜行バスを利用する友だちにグッズを教えてもらい、
いざ!と乗ったものの、やはり寝つけず、
「あぁまた寝られないのか」「眠れない」と
頭の中で繰り返していたのですが、ふと、
「寝れない、ではなくて、寝れる、と思ったらどうなんだろう?」
と思ったのです。
実際、全く眠れないわけではなく、
たとえ細切れでも5分、10分は眠れるのです。
「5分しか眠れなかった」のではなく、
「5分も眠れてる」だから「ちゃんと寝てる」のだ!
と思い直したのです。
すると、
不思議と過去のどの夜行バスの旅よりも寝ている時間が多く感じ、
翌日もかなり調子よく過ごすことができたのです。
もちろん夜行バスグッズのおかげもありますが、
なんだか魔法にかかった気分でした。
実は、少し前に
同じように不思議な感覚を味わったことがあります。
いじめられっ子だった私は、
大人になっても仲間はずれになったことがあり、
友だちというものに強く不信感や抵抗をもっていました。
友だちってどういうこと?
友だちってどこからが友だちなの?
と真剣に悩んでいたのです。
でもある時、
「いないと思うからいないんじゃないのか」
「もしかしたら、私がこの人のことを友だちだと思ったら
それでいいのではないか」
と思ったのです。
相手がどう思おうと、私が友だちだと思ったら友だちだ!と
まるでジャイアンのように決めてから、
確かにあの人もこの人も友だちなのだと気がついたのです!
夜行バスグッズを教えてくれる友だちだっているじゃないですか!
私は想像以上に友だちに囲まれていました!
それもとても素晴らしい友だちに!
今までどれだけたくさんの友だちがいたのだろう!
と目が覚める思いでした。笑
私は、過去の、
大人からの心ない言葉や拒否されることへの恐怖から、
どれほどたくさんのものを受け取らずにいたのでしょう。
気がつけば、
日常の多くで「ない」と決めていたのは私だったのでした。
それを意識的に「ある」へ変えることで、
本当に現実は変わっていったのです。
もちろん、単なる思い込みかもしれません。
でも、そこに不都合はあるでしょうか。
それで私の気分がよく、結果的に日常がうまくいくのなら、
それでいいと思うのです。
難しく考えないで、
もしかしたら「ある」のかもしれないな~と、
宝探しのような気分でチャレンジしてみたらいいと思うのです。
オセロの石をひっくり返すような、そんな軽~い気持ちで。
くるっとひっくり返るなんて、面白いと思いません?
Vol.9【自分だと思っているもの】
ようこそ、Lotus Gardenへ。
こころのアトリエ・そらいろcafeのみやです。
私は、ペンでてんてんと点をうって描いていく
「点描曼荼羅」という絵を描いています。
てんてんてんてん…点と線の集合で
幾何学のようなお花のような絵を完成させていくのですが、
点や線が歪むことが嫌で、描くことから離れていた時期がありました。
まっすぐきれいな線、
ゆがみのない丸い点に非常にこだわっていたのですが、
あるとき、あっ!!と気がつきました。
あまりにも無意識すぎて気がつかなかったのですが、
あるひとことがいつも頭の中に常駐していたのです。
それは、もう25年以上昔のこと。
事務のアルバイトをしていたのですが、
封筒の宛名がまっすぐ書けなかった私に男性職員さんが言った
「それは性格や根性が曲がっているからじゃない?」というひとこと。
それがずっとずっと心の中に居座っていたのです。
そのひとことで、自分は性格や根性が曲がっていると思い、
そうではないということを証明するかのように、
ことさら美しい点や線を描こうとしていたのでした。
他人の何気ない一言がこんなに深く刺さっていたことに驚くとともに、
もしかしたら、それ以外にも、
他人から言われたひとことが私をどこかで支配しているのかも?と、
ちょっと怖くなりました。
思い出せば思い出すほど、思い当たることがたくさんあります。
恐ろしい~笑
じつは自分が自分だと思っているものが、
そんな一言から始まっているとしたら?
それが自分を縛っているとしたら?
自分だと思っているものが、本当の自分ではないとしたら、
では、自分とはいったいどんなものなのでしょう?
飽き性?
いいえ。興味の対象がたくさんあるんです。
のろま?
いえいえ、穏やかでのんびり屋さんなの。
空気が読めない?
そんなことありません、自分の気持ちをしっかり持っているのです。
おしゃべりなひと?
話題が豊富だから話が続くのです。
そして、根性と文字の関係性は、あるの??笑
もし、もしも、自分が自分だと思っているものが、
たんなる相手の個人的なとらえ方(その人のモノサシ)だとしたら、
本当の私は?
想像してみてください。
自分だと思っているものが他人の意見から成り立っているとしたら?
その意見がそもそも正当な評価ではないのだとしたら?
他人からの評価によって作られた枠の中に押し込まれていた自分が、
本当はとても大きい存在なのだと感じませんか?
本当の私はどれだけ自由でのびのびとしているのでしょう。
私たちはどれだけ大きく自由に羽ばたけるのでしょう。
なんだかとっても楽しみになりませんか?
さぁ、新しい、でも本当の自分を見つけませんか?
Vol.8【母と娘の反抗期】
ようこそ、Lotus Gardenへ。
こころのアトリエ・そらいろcafeのみやです。
桜の便りが待ち遠しいころとなりました。
もうずいぶん前になりますが、
母と娘の葛藤をえがいたドラマを見ました。
母から娘への過酷な虐待は、愛を知らないが故であり、
愛されている確信が欲しいための行動だった、
というお話でした。
母親との関係に
葛藤や複雑な思いを抱えている方もいらっしゃるかと思います。
私もその一人でした。
悩みながらも、その時々で、自分なりの答えを見つけ、
自分の中での落とし所を探ってきたように思います。
私がこちらのコラムのお話をいただいたのは、
ちょうど母が入退院を繰り返しているころでした。
母とのことを書き綴ったものでしたが、その中で
「愛の需要と供給のミスマッチ」という言葉を使いました。
愛の需要と供給のミスマッチ!
なんてドラマチックな言葉でしょう!
単なるボタンのかけ違えなのに(笑)!
今思えば、ドラマチックな言葉にして、
少しでも他人事のように見たかったのかもしれません。
昨年は入院中の母のもとへ日参する日々の中、
私は大げさな言葉で自分の否をごまかし、
母からの愛をかたくなに拒否していたのではないだろうか、と
自問自答することも多くありました。
母の愛し方は私には届かなかったのではなくて、
私に受け取る器が出来ていなかっただけなのでは?
私は単に自分を正当化したかっただけなのでは?
・・・母が亡くなり、3か月近くが経とうとしている今、思うのは。
私、お疲れ様。ご苦労さん。よく頑張ったね。です。
疲れてささくれた心には、小さなとげもより強く痛く感じるもの。
視界も狭くなるだろうし、その中でよく頑張ったよね。
時がたち、より客観的に見られるようになり、
ふと気がついたことがありました。
それは、母も私も
遅すぎる反抗期を迎えていたのだなぁということです。
そう。
反抗期。
笑っちゃいますね。
反抗期同士がお互いに甘えた結果。
こじれるのもおかしくないでしょう。
愛の形は様々で、受け取り方も様々で。
どうであろうと、生きていくだけのこと。
自分の人生をしっかりと自分の足で歩くこと。
今となっては、私は私をしっかりと生きていくだけ。
そして、母がいてもいなくても、変わりはないのだ。
という、とてもシンプルなことに気がついたのです。
弟の家で写真の中からピースサインを送っている母は、
満面の笑顔です。
その笑顔を見ると、
親子というのは不思議なものなのだなぁと思うのです。
Vol.7【未来日記】
ようこそ、Lotus Gardenへ。
こころのアトリエ・そらいろcafeのみやです。
2016年も10月を迎え、
まだ2017年の話をするのは早いと言いたいところですが、
実はエネルギー的には、10月になると翌年のものが流れてくるそうです。
2017年は、どんな1年になるでしょうか?
楽しく仕事をしているでしょうか?
恋人とラブラブでしょうか。
結婚しているでしょうか。
起業しているかしら。
どうしている、いえ、あえて言うなら、
どんなことをしていたいですか?
どんな自分を想像しますか?
未来の自分をイメージするのは、とても大切だと言われています。
でも、そもそもイメージ、できますか?
実は私はイメージするのが苦手で、なかなか出来ないのです。
イメージイメージ!でもどうやって?何を?とずっと悩んでいたのですが、
ふと私は書くことが好きだから、書いてみよう!と思い立ち、
「未来日記」なるものを書き始めました!
と言っても日記やブログを書くような感じで、
ただ日付を未来にするのです。
来年の私の日記にはなんて書いてあるんだろう?と、想像、
いえ妄想して書くのです。
たとえば。
2017年10月10日
今週は、私のアートの展覧会と出版記念でハワイに来ています!
夫と美味しいディナーを堪能して、
いまはスイートルームでゆったりと過ごしながら、
このメルマガを書いています♪
お部屋はバラの香りで満たされています。ひゃーすごいなぁ。
窓辺を向いたソファに二人で座って、夜景を眺めています。
満月が海にキラキラと反射して、この世とは思えない美しい景色です。
こんな景色が見られるなんて、去年は思いもしなかったなぁ。
明日はメンタルセッションの後、日本から来てくれた友人たちとともに、
離島へ行ってきます!
離島では、イルカたちと泳ぐのだ!
いやその前に夫に泳ぎを教えてもらわねば!笑
なんて(笑)
もし、婚活中のあなたなら、こんなのはいかがですか?
去年(2016年)のクリスマスに偶然であったあなたが運命の人だったなんて!
二人で行った初詣は、〇〇神社。その時、告白してくれて♡
バレンタインの手作りチョコはちょっと失敗しちゃったけど、
ホワイトデーに、あなたはプロポーズしてくれたの。
私、嬉しくって泣いちゃった!
今年のクリスマスは、オーストラリアで結婚式。私幸せすぎね。
おもしろいでしょ?
最初は、普通の日記のつもりが、折角なら、と、
自分がお話会やお茶会をしたら、メルマガを発行したら、自伝を書いたら?と
妄想しながらノートに書いています。
書いているうちに、演劇部時代の血が騒ぎ、妄想暴走列車と言われた
私の妄想力が爆発し、もうすっかり気分は世界的アーティスト、
セラピスト、パワーブロガー、伝説のメルマガ作家です(笑)
そうしていると、不思議と今の自分ではなく、
その未来の自分が書いている!という感覚になってきます。
本当にそういう未来の私とリンクしているのでしょう。
すごいですね!妄想力!!
あくまでも楽しく!
そして、コツはふと思い浮かんだ未来の日付で書くことです。
実現するかしないかなんて一切考えず、自分の都合の良いように、
最高に素敵な自分を妄想すればいいだけです。
そんな未来のイメージの仕方、いかがですか?
ぜひ、お楽しみあれ!
Vol.6【人生に微笑む】
ようこそ、Lotus Gardenへ。
こころのアトリエ・そらいろcafeのみやです。
明るいほうへ、明るいほうへ、
と書いたのは詩人の金子みすゞさんでした。
優しい語り口の詩は、時代をこえて私たちを癒してくれますね。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
こんな不器用な私でも、今はずいぶんと楽に生きています。
それは、人はそれぞれだ、
そして、人のせいにしない、ということに深く気がついたからです。
また、自分の気持ちを抑え込むことも多かった。
そこに気がついたとき、私はこれまで多くのことを、
人のせいにして逃げていたということにも気がつきました。
自分から逃げていたのでした。
だから苦しかった。人のせいでもなんでもないですね~。
ずっと、みじめで、どこにいても間抜けな感じがしていました。
いつも自分の居場所を探していました。
でも、自分の居場所は、自分の中なのです。
人のせいにすることで、外へ外へ解決の方法を探していた。
だから、自分がお留守になっていたのです。
自分はどこに行っちゃったの?と探していたのでした。
私の居場所は私の中なのにね。
自分の居場所は自分の中。
いうなれば、操縦桿を握るのは私。ということですね。
自分がどうしたいのか、何が楽しくて、何が嫌で、どう動きたいのか。
自分で自分の行先を決めるということです。
自分の人生に責任を持つということです。
簡単に言うと、自分のことを大切に扱う、幸せにする、っていうこと。
そこまでわかっても、じゃあ現実的にどうしたらいいの?ですよね。
過去、自分をあまりにもお留守にしてきたので、
自分に責任を持つといってもよくわかりません。
何が楽しくて、何が好きで、何が嫌いで…
そんなこともわからなくなっていたのです。
なので、自分の気持ちの動きを見つけていく。
というところからスタートです。
あぁいま私は難癖をつけようとしているなぁ
面白いことを言おうとひねっているなぁ
めんどくさいことを避けてるんだなぁ
かっこつけたがる自分がいるなぁ
食べたら太ると思っているなぁ。というように。
こうしてほしいと思っているな、とか、
されたくないと思っているな、とか。
すこーしずつ、いろんなことに気がつくようになっていきました。
だんだん、自分を感じることができるようになっていったのです。
そして、自分の気持ちを明るくさせる方向へ、
考え方や見方を変えるように意識していったのです。
私は幸せを経験するために生まれてきた。と思っています。
その幸せとは、私としての命を生ききる、
ということではないかと思っています。
それは、逆境に生きる、苦しみを乗り越えることではなくて、
どんな中にあっても「自分を大切にして」
「気持ちを明るくさせる」方向を見つけられるか。
ということだったようです。
いま、やっとここまで来ました。
私を幸せにできるのは私であって、
意外と遅すぎるということはないのだと気がついたのです。
長くて曲がりくねった道のりです。
でも、その道のりこそが大切だと思います。
私には私の道のりがあったように、あなたにはあなたの道がある。
あなたの道を、じっくりと歩いていけばいいと思います。
人生に遅すぎるということはないし、いつだって微笑んでくれるのです。
私が私に微笑みさえすれば。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。